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東京地方裁判所 昭和43年(刑わ)5177号 判決

被告人 吉羽忠 外一四名

主文

1  被告人吉羽忠を懲役四年六月に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

2  被告人谷翰一を懲役四年六月に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

3  被告人鈴木旭を懲役二年に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

4  被告人魚谷俊永を懲役三年に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

但し、同被告人に対し、この裁判の確定した日から四年間、右刑の執行を猶予する。

5  被告人久冨可美を懲役三年に処する。

但し、同被告人に対し、この裁判の確定した日から四年間、右刑の執行を猶予する。

6  被告人藤井勇夫を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

但し、同被告人に対し、この裁判の確定した日から三年間、右刑の執行を猶予する。

7  被告人山田純一を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

但し、同被告人に対し、この裁判の確定した日から三年間、右刑の執行を猶予する。

8  被告人大平良を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入する。

但し、同被告人に対し、この裁判の確定した日から三年間、右刑の執行を猶予する。

9  被告人川村明を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

但し、同被告人に対し、この裁判の確定した日から三年間、右刑の執行を猶予する。

10  被告人瀬川徳治を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

11  被告人桑原健一を懲役二年六月に処する。

但し、同被告人に対し、この裁判の確定した日から三年間、右刑の執行を猶予する。

12  被告人桜井健男を懲役二年に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

但し、同被告人に対し、この裁判の確定した日から三年間、右刑の執行を猶予する。

13  被告人山本力を懲役二年に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

但し、同被告人に対し、この裁判の確定した日から三年間、右刑の執行を猶予する。

14  被告人生川正洋を懲役二年に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

但し、同被告人に対し、この裁判の確定した日から三年間、右刑の執行を猶予する。

15  被告人半沢一郎を懲役三年に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

但し、同被告人に対し、この裁判の確定した日から四年間、右刑の執行を猶予する。

16  訴訟費用は、別紙訴訟費用負担一覧表記載のとおり、当該被告人らの負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一国鉄新宿駅騒擾罪関係

(一)  騒擾発生に至るまでの経緯

全日本学生自治会総連合中核派(以下、中核派と略称する。)、全日本学生自治会総連合革命的マルクス主義派(以下、革マル派と略称する。)、社会主義学生同盟学生解放戦線派(以下、ML派と略称する。)、社会主義青年同盟国際主義派(以下、国際主義派と略称する。)、社会主義学生戦線派(以下、フロント派と略称する。)、プロレタリア軍団などと呼称する学生運動諸組織においては、かねてより、昭和四三年一〇月二一日のいわゆる国際反戦統一行動日に備え、その運動方針を模索していたが、遅くとも同月二〇日ごろまでには、いずれも、いわゆるベトナム戦争反対運動の一環として、当時国鉄新宿駅を経由して行われていた米軍用ジエツト燃料の輸送阻止を標榜し、夜間同駅周辺で集団示威運動を行つたうえ駅構内を占拠し、列車等の運行を妨害するなどして同駅内外を混乱に陥れるとの方針を確立し、機関紙、ビラ等により自派に所属ないし同調する者らにその趣旨徹底を図つていた。

そして、中核派、ML派及びプロレタリア軍団などに所属ないし同調する学生ら約八〇〇名は、一〇月二一日(以下、第一国鉄新宿駅騒擾罪関係の項目において、単に時刻のみを示したものは、すべて一〇月二一日の趣旨である。)午後四時ごろまでの間、その大半が自派の標識のあるヘルメツトを着用し、旗竿、角材などを携行して、東京都千代田区神田駿河台所在明治大学旧学生会館前付近の道路上に逐次集結して集会を開き、被告人吉羽、同谷、同久冨ら各派指揮者において、騒擾罪が発生する虞れがあるとして出動する警察部隊を打ち破り、新宿駅内外を混乱に陥れ、同駅を経由して行われている米軍用ジエツト燃料の輸送を阻止するため、徹底的に闘争を展開すべき旨演説し、あるいは「米タンを実力で阻止するぞ。」「騒乱罪をはねのけて戦うぞ。」などとシユプレヒコールの音頭をとるなどして前記各派の運動方針を一層徹底せしめたのち、同所付近を示威行進して気勢を高揚した。一方、国際主義派に所属ないし同調する学生ら約六〇〇名も、午後四時三〇分ごろまでの間に、その大半がヘルメツトを着用し、角材などを携行して、同区神田小川町所在中央大学構内に逐次集結し、同大学学生会館前路上において集会を開き、同派指揮者において、騒擾罪が発生する虞れがあるとして出動する警察部隊の警備を打ち破り、徹底的に闘争を展開すべき旨演説し、引き続き指揮者の指示のもとに、角材を構えて突撃訓練をなし、あるいは示威行進をするなどしてその気勢を高揚した。その後間もなく、前記各派はいずれも国鉄お茶の水駅付近に集合したが、右各派集団のうち、中核派、ML派学生らを主力とする約七〇〇名の集団及び国際主義派学生らを主力とする約一〇〇名の集団は、午後六時すぎごろ、同駅から順次国電に分乗して国鉄新宿駅に向い、途中先頭の一団は国鉄代々木駅で一斉に下車して線路上に降りたち、また後続の集団も、停車した電車の非常コツクを開けるなどして線路上に飛び下り、被告人吉羽、同谷、同魚谷ら指揮者らの指示のもとに各派ごとに隊列を組み、「米タン粉砕」、「米タンを実力で阻止するぞ」などとシユプレヒコールを繰り返しながら線路上を国鉄新宿駅構内まで示威行進をするなどしたが、警察部隊の排除活動により、一旦は分散したものの、午後七時すぎごろまでの間に、逐次同都新宿区角筈一丁目五番地所在国鉄新宿駅東口広場に再集結した。また前記のとおり、国鉄お茶の水駅から国電に分乗した各派集団のうち、別動のML派を主力とする約一〇〇名の集団も、途中国鉄四ツ谷駅で下車し、被告人久冨ら指揮者の指示のもとに、十数名が線路上に降り、投石用に多数の線路砕石を拾い集めるなどしたのち、地下鉄に乗り換え、午後七時すぎごろ、前記東口広場に到着して、国鉄代々木駅経由の学生と合流した。

他方、革マル派、フロント派に所属ないし同調する学生ら約一、五〇〇名の集団は、午後四時すぎごろから午後五時三〇分ごろまでの間、大半が自派の標識のあるヘルメツトを着用し、角材、竹竿等を携行し、同都文京区本郷所在東京大学安田講堂前に逐次集結して決起集会を開き、猪野二三男ら指揮者において、警察部隊による警備が厳重を極めても、これに負けずに米軍用ジエツト燃料の輸送を阻止するため、新宿闘争を行うべき旨演説してその気勢を高揚したのち、午後六時ごろ同大学を出発し、途中地下鉄丸の内線四ツ谷駅前付近に再び集結したうえ、指揮者らの指示のもとに、「米タン阻止」などとかけ声をかけながら、示威行進を行い、同都千代田区麹町一丁目四番地所在警視庁麹町警察署前付近において、警備中の警察部隊に対し、一斉に歩道の敷石をはがすなどして激しい投石を行つたのち、国鉄四ツ谷駅麹町口前付近路上で集会を行い、前記猪野ら指揮者において、新宿駅東口付近において徹底的に闘争を展開し、途中警察部隊の阻止線と衝突しても、これを打ち破つて進むべき旨演説して気勢をあげたのち、各派ごとに隊列を組み、新宿通りを国鉄新宿駅方面に向い、午後九時すぎごろ、同駅東口広場に到達した。

ところで、前記のとおり、午後七時すぎごろから、前記東口広場に続々到着しはじめた中核派、ML派、国際主義派など各派学生らの集団は、これらの前記企図に同調しあるいは関心を寄せて同広場及びその付近に蝟集していた七、〇〇〇名を超す一般学生、青年市民を含む群集の環視するなかで渦巻行進などを繰り返していたが、まもなく、そのうち中核派学生ら約五〇〇名、ML派学生ら約三〇〇名は、同広場中央の地下道出入口前に坐り込んで合同の集会を開き、その際、被告人吉羽、同魚谷ら各派指揮者において、前記地下道出入口屋根上から、「米タン阻止闘争は弾圧をはねのけて戦わなければならない。」「我々の戦いは、労働者が立ちあがるための起爆剤である。」などと演説し、あるいは、「最後まで戦うぞ。」などとシユプレヒコールの音頭をとつて、右各派学生らの気勢を高揚するとともに、同広場に蝟集した群衆に対し、闘争への参加、支援を訴え、更に指揮者の指示のもとに、右各派学生らが同広場から新宿通りにかけて示威行進を行つていた間も、被告人吉羽ら指揮者は、引き続き同広場に蝟集する群衆に対し、前同様の演説を繰り返し、午後八時すぎごろ、右各派学生らが再び前記地下道出入口前に集結するや、被告人谷、同魚谷ら指揮者において、こもごも「本日の米タン阻止闘争を最後まで貫徹しよう。」「機動隊の壁を実力で突破することによつて米タン輸送阻止を貫徹しよう。」などと演説し、右各派学生らを激励してその気勢を高揚するとともに、群衆に対しても闘争への参加、支援を訴え、かくして、指揮者の音頭でシユプレヒコールや闘争歌の合唱などを繰り返すうち、これら各派学生らの行動に刺激を受けた群衆も、シユプレヒコールに加わり、喚声をあげて呼応するなどし、同広場における興奮と熱気はいよいよ高まり、ここに、当時東口広場に所在していた右各派学生らの間に多衆共同して警備の警察部隊を暴力で排除してでも同駅構内を占拠して列車等の運行を妨害すべきとの意図が確定的に形成され、更に蝟集した群衆間にも広く右意図が浸透するに至つた。

(二)  騒擾

1 国鉄新宿駅東口側障壁の破壊と同駅構内侵入の状況

国鉄新宿駅東口広場に集結した各派学生ら集団のうち、中核派、ML派の一部約一〇〇名は、前記各派合同の集会が終るや、午後八時四五分ごろ、被告人吉羽の指揮のもとに隊列を組み、同広場西側新宿ステーシヨンビル付近から通称大ガードの方向に約七八メートルの間、同駅周囲にめぐらされた鉄塀による障壁前に前進し、これを一斉に所携の角材で叩くなどして障壁の破壊作業を開始し、続いて国際主義派学生ら数十名、更に中核派、国際主義派、プロレタリア軍団など各派学生ら約三五〇名もこれに加わり、前記鉄塀及びこれに続く大ガード寄りの映画看板による障壁を角材や角柱などで激しく叩き、あるいは突くなどして、大規模な破壊作業に従事した。そして午後八時五二分ごろ、前記映画看板の一部が破壊されるや、その破壊口から、国際主義派を先頭に、中核派、ML派学生ら約二五〇名が駅構内に次々と侵入したうえ、それぞれ自派の標識のある旗や角材などを携行して線路上をホーム方向に進み、これら侵入者を排除、検挙するため第一ホーム北端付近及び新宿ステーシヨンビル西側貨物線路上に進出してきた警察部隊に対し、線路上の砕石を拾つて一斉に激しい投石を行つたが、右警察部隊がガス弾を使用して規制にあたつたため、いつたんは前記破壊口から駅構外などに逃走したものの、前記破壊口内側に阻止線を張つた右警察部隊に対し、前記映画看板などの外側から激しい投石を行つて、同部隊を後退のやむなきに至らしめ、午後九時すぎごろには、再び中核派、国際主義派学生ら約一、〇〇〇名が続々と前記破壊口から駅構内に侵入し、前同様自派の標識のある旗や角材などを携行して線路上を一杯に広がつて、第一ないし第五の各ホームや貨物線方向に前進しながら、線路上の砕石を拾つて一斉に投石を行い、ガス弾を使用して侵入者の排除、検挙活動に従事していた警察部隊との間に一進一退を繰り返しつつ、徐々に同部隊をホーム方向に後退させ、また、これら各派集団の行動に同調する群衆も前記破壊口などから駅構内に侵入し、右各派集団とともに警察部隊に対し投石を行い、あるいはこれと進退をともにし、やがてこれら群衆を含む駅構内に侵入した集団は、後退する警察部隊を追つて各ホーム北端付近に迫つた。

この間、前記東口広場に蝟集する群衆の一部は、各派学生らの障壁破壊作業に加担し、あるいは前記鉄塀付近の間組工事事務所屋根上に昇つて喚声をあげてこれを支援するなどしていたが、同広場においては、被告人魚谷ら各派の指揮者が、前記鉄塀などの破壊者、群衆の喚声などが大きく反響しつつある状況の中で、前記地下道出入口屋根上から、駅内外の各派集団や群衆に対し、「全学連は只今バリケードを突破して駅構内に突入しました。」「我々はこの新宿人民広場を死守しようではありませんか。」などと演説を続けて激しく煽り、一層その気勢を高揚するとともに闘争への参加、支援を訴え、群衆らも大喚声をあげてこれに呼応するなど、喧噪な状態が続いていた。

2 同駅構内線路及び各ホーム上、南口付近の状況

約一、〇〇〇名の中核派、国際主義派など駅構内に侵入した集団は、前記のとおり警察部隊に対し、激しく投石を行いつつ前進し、午後九時二〇分ごろには、これを各ホーム上に後退するのやむなきに至らしめたうえ、その先頭部分は第一ないし第五の各ホーム北側部分上や各ホーム間の線路上まで進出し、後方部分と一体となつて各ホーム上の警察部隊に対し、激しい投石を加えた。

更に革マル派約一、〇〇〇名、フロント派約四〇〇名の集団は、午後九時すぎごろ前記東口広場に到着し、同広場一帯が前記鉄塀などの破壊音、指揮者の演説、群衆らの喚声などにより騒然としている中でシユプレヒコールを繰り返しながら示威行進を行つたうえ、前記映画看板の破壊口から駅構内に侵入して、さきに侵入していた集団に加わり、前同様警察部隊に対し、激しい投石を行い、午後九時四〇分ごろには、ML派の主力集団約二五〇名も前記鉄塀の破壊口から駅構内に侵入し、他方右各派集団の企図及び行動に同調するその他の学生、群衆も相次いで前記破壊口などから駅構内に侵入し続け、そのころには、駅構内に侵入した者の数は三、〇〇〇名を超えるに至つた。これら各派集団及び群衆は、入りまじり、あるいは所属派、所属大学別に隊列を組むなどして、各ホーム上、各ホーム間の線路上、貨物線線路上にまで一杯に広がつて進みながら、その大多数の者が第二、第三の各ホーム上の警察部隊に対して一斉に激しい投石を行い、ある者は第一、第二の各ホーム間に停車中の貨物列車(国分寺行き、二四七一、二四輛編成)の連結貨車の間や列車越しに、あるいはタンク車や貨車の上に登つて右警察部隊に投石し、また、ある者は前記貨物列車、第一ホーム二番線に停車中の回送電車(回一四一〇M、一二輛編成)、第二ホーム三番線に停車中の普通列車(甲府行き、五五三M、九輛編成)、第三ホーム六番線に停車中の下り快速電車(高尾行き、一八〇七A、一〇輛編成)、各ホーム上の運転事務室、各種掲示器、信号施設等に対しても手あたり次第に投石を行い、角材で叩くなどしてこれらを大量に破損せしめ、激しい投石のため、午後九時四五分ごろまでに警察部隊がやむなく各ホーム上より同駅南口方向に後退して、甲州街道陸橋付近に退避するや、数十名の者がこれを追跡して南口改札口前路上まで進出して投石し、あるいは駅構内備え付けの消火ホースを用いて放水し、更に右警察部隊の進出を阻止すべく、出札事務室などから手あたり次第に机、告知板、箱などを持ち出して改札口や付近道路上に積み上げてバリケードを構築しつつ、右部隊に対し投石、放水を続けた。その間、駅構内においては、侵入した各派集団及び群衆らが線路上及び各ホーム上を完全に占拠し、引き続き鉄塀の破壊音や喚声などが響きわたる中で、被告人谷、同鈴木ら指揮者の指示のもとに、所属派、所属大学別に隊列を組み、各ホーム上及び線路上などを「米タン阻止」「安保粉砕」などとシユプレヒコールを行いながら示威行進を繰り返すとともに、ある者は、前記のように電車、駅施設などに対する破壊を続け、また、ある者は、前記鉄塀内側の線路上、新宿ステーシヨンビル脇線路上など各所において、相次いで警察部隊の遺留した防石ネツト、楯等を積み上げたうえ、線路上の枕木などを燃やして気勢をあげるなどしていたが、午後一〇時三〇分ごろに至り、ようやく増援を得た警察部隊が侵入者の排除、検挙のため同駅南口より第一ないし第三の各ホーム上に進出してくるや、またもや各ホーム上や各ホーム間の線路上から一斉に激しく投石し、まもなく同部隊を再び各ホーム上から同駅南口付近に退却するのやむなきに至らしめ、引き続き駅構内を完全に占拠するに至つた。

3 第二、第三各ホームにおけるバリケード構築及び放火の状況

更に、駅構内を占拠した侵入者のうち数十名は、午後一一時すぎごろ、第二ホーム三番線に停車中の前記普通列車(甲府行き、五五三M、九輛編成)内から数十個の座席シートを持ち出し、これを同ホーム南口階段中程のおどり場に積み上げてバリケードを構築し、また、これに呼応して、第三ホームにおいても、一部の者が同ホーム六番線に停車中の前記下り快速電車(高尾行き、一八〇七A、一〇輛編成)内などから持ち出した座席シートなどを同ホーム南口階段上り口に積み上げてバリケードを構築するに至つたが、そのころ第二、第三の各ホーム上や付近線路上に蝟集していた多数の学生、群衆の中から、「火をつけろ、燃やしちやえ。」などと煽る声やこれに同調する喚声があり、午後一一時四〇分ごろに至つて、第二ホーム上の一人が新聞紙に点火し、これを同ホーム南口階段の前記バリケードの座席シートの間に差し込んで火を放つたため、右座席シートが炎上するに至つたところ、これをみとめた被告人半沢を含む数名において、右座席シートのバリケードに他の座席シートなどを投入するなどして火勢を強め、よつて鉄骨木造二階建の同駅南口本屋建物の一部である同ホーム南口階段おどり場付近の両側板壁に燃え移らせて更に延焼する危険を生ぜしめた。他方、これと相呼応して第三ホーム上においても、午後一一時四八分ごろ、数名が第二ホーム南口階段で燃えているバリケードの座席シートの一部を第三ホームに運び、同ホーム南口階段に構築されているバリケードの座席シートなどの間に差し込んで火を放ち、これを炎上せしめ、かくして、第二、第三の各ホーム南口階段付近一帯は、炎と黒煙に包まれ、折柄南口駅舎内に退避していた国鉄職員三、四〇名は、構内侵入者による投石が飛びかうなかを煙にまかれて逃まどい、なかにはやむなく同駅舎二階の窓から脱出したものの、その際負傷する者も出るなど極めて危険な状況に陥つた。右火災は、翌二二日午前零時ごろようやく鎮火したものの、このため、右各バリケードのみならず、第二ホームでは前記建造物である同ホーム南口階段の両側板壁がほぼ全面にわたつて焼燬するとともに、第三ホームにおいても、同ホーム南口階段昇り口付近の両側の柱が一部燻焼するに至つた。

4 同駅中央口における警視庁無線テレビ中継車放火の状況

警視庁は、事件当日における違法行為の発生に備え、採証活動を行うため、前記新宿ステーシヨンビル南側貨物線線路付近同駅鉄道公安室駐車場内に無線テレビ中継車(品川八た五九六号=以下、テレビ車という。)を配置したが、駅構内に侵入した各派集団などの企図及び行動に同調する多数の学生、群衆は、午後九時ごろ、該テレビ車の付近に蝟集しはじめ、駅構内において激しく投石を行つて警察部隊を後退させ、同所を占拠しつつあつた侵入集団に呼応して、テレビ車に投石を開始し、午後九時二〇分ごろには、車内で採証活動の任務に従事していた警視庁係官を退避するのやむなきに至らしめるとともに、遅くとも午後一一時すぎごろまでの間に、大勢で同車を同駐車場内から引き出したうえ、同駅中央口広場に移動させ、東口広場に蝟集する各派集団のシユプレヒコール、闘争歌、喚声などが響きわたる中で増田において週刊紙様のものに点火し、これを同車内に投げ込んで放火を試み、引き続き午後一一時二七分ごろ、他の十数名もこれに加わり、同車車体にロープをかけ、周囲の学生、群衆ら多数とともにこれを引張り、またある者は、車体を押し、あるいは角材を車体の下に差し込んでこれを持ち上げるなどして車体を横転させ、午後一一時三〇分ごろ、周囲の群衆の喚声や声援の中で山下義男ら数名において、同車のガソリンタンクからガソリンを流出させたうえ、これに点火して火を放ち、同車を炎上、爆破するに至らしめるとともに、周辺の建造物等に延焼する危険を生ぜしめ、そのうえ、出動した消防自動車の通行も周辺の多数においてこれを妨害し、翌二二日午前零時三五分ごろまでの間に、該テレビ車を全焼するに至らしめた。

5 各派集団の再集結状況

前記のとおり、駅構内に侵入した各派集団のうち、中核派、ML派、国際主義派の主力及び革マル派、フロント派の主力は、午後一〇時すぎごろから午後一〇時二〇分ごろまでの間に、順次前記障壁破壊口などから構外に退去し、いまだ鉄塀破壊作業の破壊音や群衆の喚声が響きわたり、駅内外及びその周辺一帯においてその余の各派集団、群衆らによる投石などが引き続き行われ、前記中央広場において、前記のとおりテレビ車が放火されるという状況のもとで、午後一一時五〇分ごろまでの間、前記東口広場において、各派別あるいは所属大学別に集会を開き、闘争歌を合唱し、新宿通りを示威行進するなどして気勢をあげ、引き続き駅内外で警察部隊などに対し暴行を繰り返す学生、群衆らに声援を送るなどしていたが、その間、中核派、ML派、国際主義派など主力各派の集会においては、被告人吉羽、同谷、同魚谷ら指揮者において、「本日の米タン阻止闘争は勝利に終った。数万の機動隊は我々の前に屈服した。」などと演説し、一方革マル派、フロント派などの集会においては、猪野二三男ら指揮者において、「西口に集結した機動隊を粉砕する。」などと演説し、それぞれ気勢をあげた。

6 警察部隊による検挙活動

前記のとおり駅構内に侵入した多数の各派集団及び群衆のうちの千数百名は、各派集団の主力が構外に退去したのちも、引き続き構内に滞留し、各ホーム、線路上を占拠し、あるいは警察部隊に対し投石を繰り返し、停車中の前記各電車、構内各施設に対する破壊行為をほしいままにするなどしていたが、翌二二日午前零時すぎごろから、警視庁第五機動隊が同駅第三ホーム上から貨物駅方向に、同第四機動隊が第一ホーム上から貨物駅及び国鉄大久保駅方向に、同第三機動隊が第二ホーム上から右大久保駅方向に、同第一機動隊が前記新宿駅西口から地下通路を経由して第二ホーム上に出たうえ右大久保駅方向に、それぞれ向い、検挙活動を開始するや、同日午前一時ごろまでの間、これら各警察部隊に対し激しい投石を行い、更に前記東口広場に蝟集していた学生、群衆らもこれに相呼応して構内の警察部隊に対し激しく投石し、もつて右各部隊を同駅西口や地下通路に退避するのやむなきに至らしめ、更に各部隊が再び態勢を整え前進するや、またも激しく投石するなど、警察部隊との間に一進一退を繰り返していたが、やがて前記第二機動隊が地下道から東口広場に出て、投石する残留学生や群衆らの検挙、排除にあたり、また他の各警察部隊の懸命な検挙、排除活動の効果もあがり、同日午前一時三〇分ごろには、ようやく同駅及びその周辺も沈静化するに至った。

7 結語

以上のとおり、被告人らを含む多数の各派集団及びこれら集団の企図、行動に同調する群衆は、午後八時四五分ごろから翌二二日午前一時ごろまでの間、国鉄新宿駅構内の各ホーム上、駅舎内及び線路上並びに前記東口広場、同広場西側の新宿ステーシヨンビルと通称大ガードとの間にある前記鉄塀、映画看板などによる障壁付近、前記中央口広場、南口改札口付近路上などを含む同駅周辺地域一帯において、多衆共同して、警察部隊に対し、激しく投石を行い、前記鉄塀、映画看板を破壊し、同駅構内に侵入してこれを占拠し、停車中の電車、同駅各施設等に投石してこれを破損せしめ、あるいは駅舎及び前記警視庁無線テレビ中継車に放火するなどの暴行を繰り返し、もって、約五九〇名の警察官を負傷させたほか、同駅構内で発車準備中の前記二四七一貨物列車、五五三M普通列車、一八〇七A快速電車及び回一四一〇回送列車を発車不能に至らしめたのみならず、同駅を通過する山手線、中央線などの列車、電車をも順次途中駅に停止させ、二二日午前一〇時すぎごろまでの間、同駅を中心とする列車の運行を全面的に不能ならしめ、その間、中央線、総武線、山手線などの旅客線合計一、〇二五本、東海道線、東北線、高崎線、常盤線、川越線、相模線、中央線などの貨物線合計五九四本の列車、電車を運転休止のやむなきに至らしめて国鉄の輸送業務を広範囲にわたり著しく阻害し、前記鉄塀、映画看板のほか、停車中の前記各列車、電車の前照灯、窓ガラス、運転台計器類、同駅駅舎建物の窓ガラス、外壁、駅構内の電気掲示器、各種碍子、転てつ器、入換車線各信号機、ATS地上子、電話機、放送装置など各施設を大量に破壊し、更に付近商店、ビルなどの窓ガラス、シヤツター、看板、ネオンなど多数を破損せしめ、よって前記国鉄新宿駅構内及びその周辺地域一帯を混乱に陥らしめ、かつ多数の警察官、同駅職員、乗降客のみならず、同駅周辺の住民、商店街の従業員らに対し、極度の不安と恐怖を生ぜしめて騒擾をなしたものである。

(三)  前記騒擾における各被告人の所為

1 被告人吉羽関係

被告人吉羽は、昭和四一年一一月東京工業大学理工学部を中退し、当時、中核派に所属し、同派中央執行委員、国際部長の地位にあったものであるが、午後四時ごろから前記明治大学旧学生会館前付近路上で開かれた中核、MLなど各派学生らによる集会において、約八〇〇名の学生らに対し、指揮者として、騒擾罪発生の虞れがあるとして出動する警察部隊による規制を打ち破り、米軍用ジエツト燃料の輸送阻止闘争を最後まで徹底的に戦うべき旨任務・行動を指示・激励するなどしたのち、多数の中核派学生らを引率して午後七時すぎごろ、国電代々木駅構内線路上を経由して国鉄新宿駅東口広場に至り、同広場で開かれた中核、MLなど各派学生らによる合同の集会において、他の各派指揮者らとともに前記中央地下道出入口屋根上から、多数の各派学生ら及びその周辺に蝟集するその他の学生、群衆らに対し、「我々の戦いは、労働者が立ちあがるための起爆剤である。一緒に戦おう。」などと演説してその気勢を高揚するとともに、群衆に闘争への参加と支援を訴え、更に午後八時四五分ごろ、自ら指揮して約一〇〇名の中核派学生らを同駅東口側障壁の前記鉄塀付近に前進させたうえ、該鉄塀の破壊作業にとりかからせるとともに、そのころ多数の各派学生らとともに同駅構内に侵入し、もって、多衆の威力を用いて同駅構内を占拠して前記国鉄の輸送業務を妨害するとともに、前記騒擾に際して他人を指揮したものである。

2 被告人谷関係

被告人谷は、当時横浜国立大学経済学部の学生であつて、中核派に所属していたものであるが、午後七時すぎごろ、多数の中核派学生らを引率して、前記明治大学旧学生会館前路上から国鉄代々木駅構内線路上を経由して国鉄新宿駅東口広場に至り、同広場で開かれた中核、MLなど各派学生らによる合同の集会において、他の各派指揮者らとともに前記中央地下道出入口屋根上から、多数の各派学生らに対し、米軍用ジエツト燃料輸送阻止闘争を貫徹するため、出動した警察部隊の壁を突破して最後まで戦い抜くべき旨任務・行動を指示・激励し、更に多数の各派学生らとともに同駅構内に侵入したうえ、午後九時五五分ごろ、第一ホーム東側線路上において、隊列を組んで行進する中核派学生ら数十名の先頭部に位置し、笛を吹くなどして、その進退を指揮し、もって、多衆の威力を用いて同駅構内を占拠して前記国鉄の輸送業務を妨害するとともに、前記騒擾に際して他人を指揮したものである。

3 被告人鈴木関係

被告人鈴木は、当時法政大学文学部の学生であつて、中核派に所属し、同派中央執行委員の地位にあったものであるが、前記騒擾に際し、午後八時五五分ごろ、国鉄新宿駅東口側において前記鉄壁を破壊中の中核派集団の先頭に位置し、そのころ多数の各派学生らとともに同駅構内に侵入したうえ、午後九時四五分ごろ、第一ホーム東側線路上において、隊列を組んで行進する多数の中核派学生らの先頭部に位置してこれを引率し、国鉄代々木駅方向に、あるいは同大久保駅方向に行進してその進退を指揮し、もつて、多衆の威力を用いて同駅構内を占拠して前記国鉄の輸送業務を妨害するとともに、前記騒擾に際して他人を指揮したものである。

4 被告人魚谷関係

被告人魚谷は、昭和四一年一月早稲田大学第二政治経済学部を中退し、当時ML派に所属していたものであるが、前記騒擾に際し、午後七時すぎごろ、多数のML派学生らを引率し、国鉄代々木駅構内線路上を経由して国鉄新宿駅東口広場に至り、同広場で開かれた中核、MLなど各派学生らによる合同の集会において、他の各派指揮者らとともに前記中央地下出入口屋根上から、数回にわたり、多数の各派学生らに対し、警察権力の弾圧をはね返して米軍用ジエツト燃料の輸送阻止闘争を実力で戦うべき旨任務・行動を指示・激励するとともに、「我々は戦うぞ」などシユプレヒコールの音頭をとるなどし、更に各派集団が前記障壁の破壊口などから同駅構内に侵入を開始したころから午後九時ごろまでの間、前同様前記中央地下道出入口屋根上から、各派集団及び群衆に対し、「全学連の学生はバリケードを突破して駅構内に突入しました。労働者、都民の皆さん。この人民広場を断固として死守しようではないか。」など演説し、各派集団の気勢を高揚するとともに周囲のその他の学生、群衆に闘争の参加と支援を訴え、もって前記騒擾に際して他人を指揮したものである。

5 被告人久冨関係

被告人久冨は、昭和四三年一〇月中央大学商学部を中退し、当時ML派に所属し、同派全都学生解放戦線連合議長の地位にあったものであるが、午後四時ごろから前記明治大学旧学生会館前付近路上で開かれた中核、MLなど各派学生らによる集会において、約八〇〇名の学生らに対し、指揮者として、本日はいかなる手段を用いても新宿を混乱に陥れ、米軍用ジエツト燃料の輸送を阻止すべき旨任務・行動を指示・激励し、あるいは「米タン阻止闘争に決起するぞ」、「実力で闘うぞ」などとシユプレヒコールの音頭をとつてその気勢を高揚したのち、右学生らを引率して午後七時ごろ、国鉄四ツ谷駅を経由して国鉄新宿駅東口広場に至り、同広場で開かれた中核、MLなど各派学生らによる合同の集会において、他の各派指揮者らとともに前記中央地下道出入口屋根上から、多数の各派学生らに対し、前同様その任務・行動を指示・激励したうえ、午後九時四〇分ごろ、多数のML派学生らを指揮・引率して、同駅東口側の前記障壁の破壊口などからこれを同駅構内に侵入させるとともに、自らも同所付近から同駅構内に侵入してこれを占拠し、もつて、多衆の威力を用いて前記国鉄の輸送業務を妨害するとともに、前記騒擾に際して他人を指揮したものである。

6 被告人藤井関係

被告人藤井は、当時東洋大学文学部の学生であつたものであるが、午後七時すぎごろ、同大学学生約六〇名を引率して、国鉄四ツ谷駅、地下鉄丸の内線新宿三丁目駅を経由して国鉄新宿駅東口広場に至り、右約六〇名の学生らが同広場付近において隊列を組んで示威行進した際、その先頭部に位置し、「米タン輸送阻止」などとかけ声をかけてその気勢を高揚するなどしてその進退を指揮したのち、午後九時すぎごろ、右学生らを率いて同駅東口側の前記障壁の破壊口付近から同駅構内に侵入したうえ、右学生らをして、警察部隊に対し投石をするなどして同駅構内を占拠している多数の学生らに加わらしめ、更に線路上から第四ホーム上に前進し、その間右学生らの隊列の先頭部にたつて、手で合図をするなどしてその進退を指揮し、もつて、多衆の威力を用いて同駅構内を占拠して前記国鉄の輸送業務を妨害するとともに、前記騒擾に際して他人を指揮したものである。

7 被告人山田関係

被告人山田は、当時芝浦工業大学経営学科の学生であつて、同大学学生自治会執行委員長の地位にあるとともに、国際主義派に所属していたものであるが、同月二〇日午後六時ごろ、埼玉県大宮市所在の同大学大宮校舎自治会室において、被告人大平ら約一〇名の学生に対し、翌二一日は、国鉄新宿駅東口広場付近の前記映画看板による障壁を破壊して同駅構内に侵入したうえこれを占拠し、米軍用ジエツト燃料の輸送を実力をもつて阻止し、かつ同所を人民管理の場とすべき旨指示・命令するとともに、当日の指揮者として被告人大平外一名を指名し、翌二一日午後零時ごろから同校舎敷地内で開かれた総決起集会において、学生ら約一五〇名に対し、前同様の演説をなし、米軍用ジエツト燃料の輸送阻止闘争への参加を呼びかけるとともにその気勢を高揚したうえ、自ら約二〇名の学生らを引率し、午後三時すぎごろ、前記中央大学学生会館に至り、同所において、右約二〇名の学生らに指示してこれを二個班に編成したうえ、警備の警察部隊と衝突した際は終始同一行動をとるべきことなど新宿駅付近での行動並びに逮捕された際の注意事項等を縷々伝達・指示したのち、右学生らを約一八〇名の国際主義派学生らとともに国鉄新宿駅へ向わせて前記騒擾に参加せしめ、もつて前記騒擾に際して他人を指揮したものである。

8 被告人大平関係

被告人大平は、当時芝浦工業大学工業化学科の学生であつて、国際主義派の同調者であつたものであるが、午後七時すぎごろ、国際主義派学生ら約六〇名を引率して、前記中央大学学生会館から国鉄代々木駅構内線路上を経由して国鉄新宿駅東口広場に至り、右集団の先頭部に位置して、同所付近及び新宿通りを示威行進し、あるいは同広場で開かれた中核、MLなど各派学生らによる合同の集会に参加するなどしていたところ、午後八時五〇分ごろ、示威行進中の各派集団の先頭部に位置する国際主義派学生ら約五〇名を指揮・引率して同駅東口側の前記映画看板による障壁前に至り、右手を振り上げ、「突込め」などと繰り返し叫びながら自ら右看板の一部を引き剥がして侵入口をつくり、午後八時五二分ごろ、先頭にたつて同所から同駅構内に侵入したうえ、「入れ、入れ」と叫んで前記障壁の外側にいる後続の学生らを次々と駅構内に侵入させ、更に同所付近の線路上において、右学生らを指示して隊列を整えさせ、その先頭部に位置して笛を吹くなどして隊列をホーム方向に向かわせ、ホーム方向から進出して、これら侵入者を排除・検挙すべき任務に従事中の警察部隊に対し、自らも右学生らとともに投石して暴行を加えるなどし、もつて、多衆の威力を用いて同駅構内を占拠して前記国鉄の輸送業務を妨害し、かつ前記警察官の職務の執行を妨害するとともに、前記騒擾に際して他人を指揮したものである。

9 被告人川村関係

被告人川村は、当時横浜国立大学工学部の学生であつて、中核派に所属し、同派中央執行委員の地位にあつたものであるが、午後七時すぎごろ、国鉄代々木駅構内線路上を経由して国鉄新宿駅東口広場に至り、同広場で開かれた中核、MLなど各派学生らによる合同の集会に参加するなどしていたところ、午後九時すぎごろ、多数の中核派学生らとともに、同駅東口側の前記障壁の破壊口付近から侵入したうえ、自らも数個の石塊を所持して、線路上をホーム方向に前進する数十名の中核派学生らの先頭部に位置して進み、更に午後九時四一分ごろ、第二ホーム上においても石塊を所持して警察部隊に立ち向い、もつて、多衆の威力を用いて同駅構内を占拠して前記国鉄の輸送業務を妨害するとともに、他人に率先して前記騒擾の勢を助けたものである。

10 被告人瀬川関係

被告人瀬川は、当時慶應義塾大学経済学部の学生であつて、中核派に所属していたものであるが、午後七時すぎごろ、約二〇名の中核派学生らを引率して、同大学日吉校舎から前記明治大学旧学生会館を経由して国鉄新宿駅東口広場に至り、午後八時五〇分ごろ、同駅東口側の前記鉄塀による障壁を破壊中の中核派集団の先頭部に位置し、既に破壊された同所付近前記映画看板による障壁外側路上から、駅構内で侵入者を排除・検挙すべき任務に従事中の警察部隊に対し、他の数十名とともに、自らその先頭にたつて投石して暴行を加え、そのころ多数の中核派学生らとともに同駅構内に侵入したうえ警察部隊に投石すべく自ら石塊を所持して右学生らの先頭に立ち、線路上を第一ホーム上まで進出し、もつて、多衆の威力を用いて同駅構内を占拠して前記国鉄の輸送業務を妨害し、かつ前記警察官の職務の執行を妨害するとともに、他人に率先して前記騒擾の勢を助けたものである。

11 被告人桑原関係

被告人桑原は、昭和四二年三月日本大学芸術学部を中退し、その後映画助監督などをしていたものであるが、午後七時すぎごろ、国鉄新宿駅東口広場に至り、同広場で開かれた中核、MLなど各派学生らによる合同の集会に参加し、あるいは新宿通りを示威行進するなどしていたところ、午後八時五〇分ごろ、同駅東口側の前記鉄塀による障壁の破壊を開始した多数の中核派学生らとともに、角柱をもつて前記鉄塀を突き、ついで午後八時五二分ごろ、前記映画看板の破壊口から多数の中核派学生らとともに同駅構内に侵入したうえ、これら多数の学生らの先頭部に位置してホーム方向に前進し、第三、第四ホーム間の線路上から、第三ホーム上で侵入者を排除・検挙すべき任務に従事中の警察部隊に対し、多数の学生らとともに自ら数回投石して暴行を加え、更に同ホーム六番線に停車中の前記下り快速電車(高尾行き、一八〇七A)前部車輛の線路側窓によじ登つて同車内に入り込むなどし、もつて、多衆の威力を用いて同駅構内を占拠して前記国鉄の輸送業務を妨害し、かつ前記警察官の職務の執行を妨害するとともに、他人に率先して前記騒擾の勢を助けたものである。

12 被告人桜井関係

被告人桜井は、当時東洋大学文学部の学生であつたものであるが、午後七時すぎごろ、同大学学生約六〇名とともに、同大学から国鉄四ツ谷駅、地下鉄丸の内線新宿三丁目駅を経由して国鉄新宿駅東口広場に至り、同広場で開かれた中核、MLなど各派学生らによる合同の集会に参加し、同所付近において、右約六〇名の学生らが示威行進をした際、その先頭にたち、これを誘導して気勢を高揚するなどしたのち、午後九時すぎごろ、同駅東口側の前記障壁付近から右学生らとともに同駅構内に侵入したうえ、ホーム方向に進出し、警備の警察部隊やタンク車の状況等を偵察してその結果を右学生らに報告し、更に自ら石塊を所持して右学生らの先頭にたつて第四ホーム上に前進し、折柄第三ホーム上で侵入者を排除・検挙すべき任務に従事中の警察部隊に対し、右学生らとともに自ら先頭にたつて投石して暴行を加え、あるいは右学生らの隊列の先頭部に位置してその進退を誘導し、もつて、多衆の威力を用いて同駅構内を占拠して前記国鉄の輸送業務を妨害し、かつ前記警察官の職務の執行を妨害するとともに、他人に率先して前記騒擾の勢を助けたものである。

13 被告人山本関係

被告人山本は、当時芝浦工業大学電子工学科の学生であつたものであるが、午後七時すぎごろ、同大学大宮校舎から前記中央大学学生会館、国鉄代々木駅構内線路上を経由して国鉄新宿駅東口広場に至り、約二〇〇名の国際主義派学生らとともに新宿通りを示威行進し、あるいは同広場で開かれた中核、MLなど各派学生らによる合同の集会に参加するなどしていたところ、午後八時五〇分ごろ、国際主義派学生ら約五〇名とともに同駅東口側の前記映画看板による障壁前に至り、指揮者の号令のもとに、右学生らとともに、右看板を所携の角材で乱打するなどして侵入口をつくり、午後八時五二分ごろ、右国際主義派学生らとともに、同所から同駅構内に侵入したうえ、同所付近の線路上をホーム方向に殺到し、同方向から進出してこれら侵入者を排除・検挙すべき任務に従事中の警察部隊に対し、他の学生らとともに自ら数回投石して暴行を加え、もつて、多衆の威力を用いて同駅構内を占拠して前記国鉄の輸送業務を妨害し、かつ前記警察官の職務の執行を妨害するとともに、他人に率先して前記騒擾の勢を助けたものである。

14 被告人生川関係

被告人生川は、当時一橋大学商学部の学生であつたものであるが、午後七時すぎごろ、同大学から前記中央大学学生会館、国鉄代々木駅構内線路上を経由して国鉄新宿駅東口広場に至り、約二〇〇名の国際主義派学生らとともに新宿通りを示威行進し、あるいは同広場で開かれた中核、MLなど各派学生らによる合同の集会に参加するなどしていたところ、午後九時ごろ、多数の国際主義派学生らとともに、同駅東口側の前記障壁の破壊口から同駅構内に侵入したうえ、同所付近の線路上をホーム方向に殺到し、同方向から進出してこれら侵入者を排除・検挙すべき任務に従事中の警察部隊に対し、他の多数の学生らとともに自ら数回投石して暴行を加え、もつて、多衆の威力を用いて同駅構内を占拠して前記国鉄の輸送業務を妨害し、かつ前記警察官の職務の執行を妨害するとともに、他人に率先して前記騒擾の勢を助けたものである。

15 被告人半沢関係

被告人半沢は、当時都内で土工として稼働していたものであるが、午後八時ごろ、国鉄新宿駅東口広場に赴き、同広場で開かれた中核・MLなど各派学生らによる合同の集会や示威行進を見物中、各派指揮者らの闘争参加の呼びかけを受けて前記各派学生らの意図に共鳴し、午後八時四五分ごろ、中核派集団により開始された同駅東口側の前記鉄塀による障壁の破壊作業をみとめるや、これら集団の共同暴行に加担することを決意し、午後八時五二分ごろ、右中核派集団とともに、自らその先頭を切つて前記映画看板の破壊口から同駅構内に侵入したうえ、同所付近や第一ホーム北端付近の各線路上及び第一、第二、第四ホーム上などにおいて、各ホーム上及び線路上に進出して侵入者を排除・検挙すべき任務に従事中の警察部隊に対し、多数の学生らとともに自ら多数回にわたつて投石して暴行を加え、引き続き第三ホーム上を後退する警察部隊を追跡して、同ホーム南口階段を昇つて同駅南口改札口付近に至り、午後九時四八分ごろ、同所付近から甲州街道上に後退した警察部隊に対し、多数回にわたつて投石し、午後一〇時ごろ、警察部隊の前進によって、第二ホーム上に引きさがつた際も、同ホーム南口階段から進出してきた前同様の任務に従事中の警察部隊に対し、他の学生らとともに自ら数回投石して暴行を加え、更に午後一一時三八分ごろ、同駅構内を占拠した侵入者の一部が同ホーム南口階段中程のおどり場に数十個の列車用座席シートなどを積み上げて構築したバリケード付近で、学生、群衆らが「火をつけろ、燃やしてしまえ」などと騒いでいるのを見聞するや、自らもこれらの者とともにバリケードに火を放ち、鉄骨木造二階建の国鉄新宿駅建物に延焼せしめてこれを焼燬しようと決意し、その場にいたほか十数名の者と共謀のうえ、氏名不詳の一人において、新聞紙に点火し、これを前記バリケードの座席シートの間に差し込んで火を放ち、これが炎上しはじめるや、自ら同所階段下にあつた他の座席シート一個を運びあげて火中に投入し、あるいは炎上中のバリケードからはみ出して未だ燃えていない座席シートを右足で火中に蹴り入れるなどしてその火勢を強め、よつて火を多数の駅員の現存する鉄骨二階建同駅南口本屋の一部である同ホーム南口階段おどり場付近の両側板壁に燃え移らせてこれを炎上させ、もつて、多衆の威力を用いて同駅構内を占拠して前記国鉄の輸送業務を妨害し、かつ前記警察官の職務の執行を妨害し、人の現在する建造物に火を放つてこれを焼燬するとともに、他人に率先して前記騒擾の勢を助けたものである。

第二国鉄代々木駅及びその付近における威力業務妨害罪関係

被告人吉羽、同谷、同魚谷、同大平、同川村、同山本、同生川は、昭和四三年一〇月二一日午後六時三〇分ごろ、前記のとおり、国鉄新宿駅内外において米軍用ジエツト燃料の輸送阻止闘争を展開するため、約七〇〇名の中核、ML派集団及び約一〇〇名の国際主義派集団とともに同駅付近に赴く途中、順次国電で東京都渋谷区代々木一丁目三四番地国鉄代々木駅構内に至り、一斉に下車して、同駅第二、第三ホーム間の線路上に降り立ち、同所において右各派学生らとともに通過する電車等の運行を不能ならしめて線路上を国鉄新宿駅構内に向うべきことを企て、右各派学生らと共謀のうえ、大半がヘルメツトを着用し、角材を携行した右各派集団とともに線路上を一杯に隊列を組み、「米タン粉砕」などとかけ声をかけ、あるいは闘争歌を合唱するなどして気勢をあげ、引き続き前記国鉄新宿駅構内第一ホーム北端付近まで貨物線路上、あるいは旅客線路上を前同様気勢をあげながら行進し、前記両駅の職員から再三にわたり構外へ退去するように要求されたにもかかわらずこれに応じないで線路上に滞留し、前記両駅構内における電車等の進行を不可能ならしめ、そのため代々木駅予備助役佐野新一、新宿駅予備助役大柴敏雄ら両駅の運転関係職員をしてこのまま電車等を進行させれば事故の発生を免れないものとの危倶の念を抱かせ、よつて、同人らの連絡・指示などにより、被告人らの排除完了に至る同日午後七時ごろまでの間、両駅構内及びその付近において電車八本、旅客列車一本、貨物列車一本を停止させたほか、その後続電車等を周辺各駅構内等において停止させ、もつて、多衆の威力を用いて国鉄の輸送業務を妨害したものである。

(証拠の標目)(略)

(確定裁判)

(一)  被告人吉羽関係

被告人吉羽は、(1)昭和四五年六月二二日、東京高等裁判所で、昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例違反罪及び昭和二五年神奈川県条例第六九号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例違反罪により懲役六月、二年間執行猶予に処せられ、右裁判は昭和四六年六月五日確定し、(2)昭和五〇年一〇月二三日、東京地方裁判所で、兇器準備集合罪により懲役一年(未決勾留日数一〇〇日算入)、三年間執行猶予に処せられ、右裁判は同年一一月七日確定したものであつて、右の各事実は、警察庁刑事局鑑識課長作成の指紋照会回答書(但し、被告人吉羽に関するもの)、検察事務官作成の前科調書(但し、被告人吉羽に関するもの)、昭和四五年六月二二日付及び昭和五〇年一〇月二三日付各判決謄本によってこれを認める。

(二)  被告人谷関係

被告人谷は、(1)昭和四四年七月一九日、東京地方裁判所で、兇器準備集合罪及び公務執行妨害罪により懲役一〇月(未決勾留日数一〇〇日算入)に処せられ、右裁判は昭和四五年七月一五日確定し、(2)昭和四四年一〇月六日、同裁判所で、昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例違反罪及び公務執行妨害罪により懲役六月に処せられ、右裁判は昭和四六年六月五日確定したものであつて、右の各事実は、警察庁刑事局鑑識課長作成の指紋照会回答書(但し、被告人谷に関するもの)、検察事務官作成の前科調書(但し、被告人谷に関するもの)、昭和四四年七月一九日付及び同年一〇月六日付各判決謄本によってこれを認める。

(三)  被告人鈴木関係

被告人鈴木は、(1)昭和四六年九月二五日、東京高等裁判所で、兇器準備集合罪及び公務執行妨害罪により懲役一〇月(未決勾留日数一五〇日算入)に処せられ、右裁判は同年一〇月一〇日確定し、(2)昭和五〇年二月二四日、東京地方裁判所で、監禁罪及び傷害致死罪により懲役四年(未決勾留日数五六〇日算入)に処せられ、右裁判は昭和五二年八月一日確定したものであつて、右の各事実は、警察庁刑事局鑑識課長作成の指紋照会回答書(但し、被告人鈴木に関するもの)、検察事務官作成の前科調書(但し、被告人鈴木に関するもの)、及び報告書、昭和四六年九月二五日付、昭和五〇月二月二四日付、昭和五二年七月六日付各判決謄本によってこれを認める。

(四)  被告人大平関係

被告人大平は、昭和四七年三月九日、東京地方裁判所で、兇器準備集合罪により懲役一年(未決勾留日数一四〇日算入)、二年間執行猶予に処せられ、右裁判は同月二四日確定したものであつて、右の事実は警察庁刑事局鑑識課長作成の指紋照会回答書(但し、被告人大平に関するもの)、検察事務官作成の前科調書(但し、被告人大平に関するもの)、昭和四七年三月三〇日付判決謄本によってこれを認める。

(五)  被告人川村関係

被告人川村は、昭和四六年二月四日、東京地方裁判所で、公務執行妨害罪及び傷害罪により懲役一年、三年間執行猶予に処せられ、右裁判は同月二五日確定したものであつて、右の事実は、警察庁刑事局鑑識課長作成の指紋照会回答書(但し、被告人川村に関するもの)、検察事務官作成の前科調書(但し、被告人川村に関するもの)、昭和四六年二月四日付判決謄本によってこれを認める。

(六)  被告人瀬川関係

被告人瀬川は、昭和四六年九月二五日、東京高等裁判所で、兇器準備集合罪及び公務執行妨害罪により懲役八月(未決勾留日数一二〇日算入)に処せられ、右裁判は昭和四七年一二月二二日確定したものであつて、右の事実は、警察庁刑事局鑑識課長作成の指紋照会回答書(但し、被告人瀬川に関するもの)、検察事務官作成の前科調書(但し、被告人瀬川に関するもの)、昭和四六年九月二五日付判決謄本によってこれを認める。

(七)  被告人桑原関係

被告人桑原は、昭和四七年三月一七日、東京地方裁判所で、傷害罪及び公務執行妨害罪により懲役一年六月(未決勾留日数三〇〇日算入)、三年間執行猶予に処せられ、右裁判は同年四月一日確定したものであつて、右の事実は、警察庁刑事局鑑識課長作成の指紋照会回答書(但し、被告人桑原に関するもの)、検察事務官作成の前科調書(但し、被告人桑原に関するもの)、昭和四七年三月一七日付判決謄本によってこれを認める。

(八)  被告人半沢関係

被告人半沢は、昭和五一年八月六日、横浜地方裁判所で、強制猥褻罪により懲役一年、三年間執行猶予、付保護観察に処せられ、右裁判は同月二一日確定したものであつて、右の事実は、検察事務官作成の前科調書(但し、被告人半沢に関するもの)、昭和五一年八月六日付判決謄本によってこれを認める。

(法令の適用)

1  被告人吉羽関係

被告人吉羽の判示各所為中、判示第一の騒擾指揮の点は刑法一〇六条二号に、判示第一及び第二の威力業務妨害の点はいずれも同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、判示第一の騒擾指揮と威力業務妨害は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い騒擾指揮罪の刑で処断することとし、所定刑中、判示第一、第二につきいずれも懲役刑を選択し、以上の各罪と前記確定裁判のあつた罪とは同法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示各罪につき更に処断することとし、右の各罪もまた同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で処断すべきところ、同被告人は判示のとおり、本件現場における最高指揮者としての立場にあつたものであつて、その刑責は重大なものがある点に鑑み、同被告人を懲役四年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇〇日を右の刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり被告人吉羽に負担させることとする。

2  被告人谷関係

被告人谷の判示各所為中、判示第一の騒擾指揮の点は刑法一〇六条二号に、判示第一及び第二の威力業務妨害の点はいずれも同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、判示第一の騒擾指揮と威力業務妨害とは一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い騒擾指揮罪の刑で処断することとし、所定刑中、判示第一、第二につきいずれも懲役刑を選択し、以上の各罪と前記確定裁判のあつた罪とは同法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示各罪につき更に処断することとし、右の各罪もまた同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で処断すべきところ、同被告人は判示のとおり、本件現場における最高指揮者としての立場にあつたものであつて、その刑責は重大なものがある点に鑑み、同被告人を懲役四年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇〇日を右の刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり被告人谷に負担させることとする。

3  被告人鈴木関係

被告人鈴木の判示各所為中、騒擾指揮の点は刑法一〇六条二号に、威力業務妨害の点は同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い騒擾指揮罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、右は前記確定裁判のあつた罪とは同法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示の罪につき更に処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人鈴木を懲役二年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち二〇〇日を右の刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり、被告人鈴木に負担させることとする。

4  被告人魚谷関係

被告人魚谷の判示各所為中、判示第一の所為は刑法一〇六条二号に、判示第二の所為は同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で被告人魚谷を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇〇日を右の刑に算入する。なお同被告人は、本件現場において、指揮者として活動したものであつて、その刑責の重大であることは否定できないが、本件以後、暴力を伴う過激な行動には参加していないと見られること等の情状を考慮し、特に同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から四年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり、被告人魚谷に負担させることとする。

5  被告人久冨関係

被告人久冨の判示各所為中、騒擾指揮の点は刑法一〇六条二号に、威力業務妨害の点は同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い騒擾指揮罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人久冨を懲役三年に処する。なお、同被告人は、本件現場において、指揮者として活動したものであつて、その刑責の重大であることは否定できないが、これまでに前科はなく、また本件以後、暴力を伴う過激な行動には参加していないと見られること等の情状を考慮し、特に同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から四年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり、被告人久冨に負担させることとする。

6  被告人藤井関係

被告人藤井の判示各所為中、騒擾指揮の点は刑法一〇六条二号に、威力業務妨害の点は同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い騒擾指揮罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人藤井を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇〇日を右の刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり、被告人藤井に負担させることとする。

7  被告人山田関係

被告人山田の判示所為は刑法一〇六条二号に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人山田を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち二〇〇日を右の刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり、被告人山田に負担させることとする。

8  被告人大平関係

被告人大平の判示各所為中、判示第一の騒擾指揮の点は刑法一〇六条二号に、公務執行妨害の点は同法九五条一項、六〇条に、判示第一及び第二の威力業務妨害の点はいずれも同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、判示第一の騒擾指揮と公務執行妨害と威力業務妨害とは一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い騒擾指揮罪の刑で処断することとし、所定刑中、判示第一、第二につきいずれも懲役刑を選択し、以上の各罪と前記確定裁判のあつた罪とは同法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示各罪につき更に処断することとし、右の各罪もまた同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で被告人大平を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち一〇〇日を右の刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり、被告人大平に負担させることとする。

9  被告人川村関係

被告人川村の判示各所為中、判示第一の騒擾助勢の点は刑法一〇六条二号に、判示第一及び第二の威力業務妨害の点はいずれも同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、判示第一の騒擾助勢と威力業務妨害とは一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い騒擾助勢罪の刑で処断することとし、所定刑中、判示第一、第二につきいずれも懲役刑を選択し、以上の各罪と前記確定裁判のあつた罪とは同法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示各罪につき更に処断することとし、右の各罪もまた同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で被告人川村を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇〇日を右の刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり、被告人川村に負担させることとする。

10  被告人瀬川関係

被告人瀬川の判示各所為中、騒擾助勢の点は刑法一〇六条二号に、威力業務妨害の点は同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、公務執行妨害の点は刑法九五条一項、六〇条に各該当するところ、右は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い騒擾助勢罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、右は前記確定裁判のあつた罪とは同法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示の罪につき更に処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人瀬川を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち二〇〇日を右の刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり、被告人瀬川に負担させることとする。

11  被告人桑原関係

被告人桑原の判示各所為中、騒擾助勢の点は刑法一〇六条二号に、威力業務妨害の点は同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、公務執行妨害の点は刑法九五条一項、六〇条に各該当するところ、右は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い騒擾助勢罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、右は前記確定裁判のあつた罪とは同法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示の罪につき更に処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人桑原を懲役二年六月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり、被告人桑原に負担させることとする。

12  被告人桜井関係

被告人桜井の判示各所為中、騒擾助勢の点は刑法一〇六条二号に、威力業務妨害の点は同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、公務執行妨害の点は刑法九五条一項、六〇条に各該当するところ、右は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い騒擾助勢罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人桜井を懲役二年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち二〇〇日を右の刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり、被告人桜井に負担させることとする。

13  被告人山本関係

被告人山本の判示各所為中、判示第一の騒擾助勢の点は刑法一〇六条二号に、公務執行妨害の点は同法九五条一項、六〇条に、判示第一及び第二の威力業務妨害の点はいずれも同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、判示第一の騒擾助勢と公務執行妨害と威力業務妨害とは一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い騒擾助勢罪の刑で処断することとし、所定刑中、判示第一、第二につきいずれも懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で被告人山本を懲役二年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇〇日を右の刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり、被告人山本に負担させることとする。

14  被告人生川関係

被告人生川の判示各所為中、判示第一の騒擾助勢の点は刑法一〇六条二号に、公務執行妨害の点は同法九五条一項、六〇条に、判示第一及び第二の威力業務妨害の点はいずれも同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、判示第一の騒擾助勢と公務執行妨害と威力業務妨害とは一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い騒擾助勢罪の刑で処断することとし、所定刑中、判示第一、第二につきいずれも懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で被告人生川を懲役二年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇〇日を右の刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり、被告人生川に負担させることとする。

15  被告人半沢関係

被告人半沢の判示各所為中、騒擾助勢の点は刑法一〇六条二号に、公務執行妨害の点は同法九五条一項、六〇条に、現住建造物放火の点は同法一〇八条、六〇条に、威力業務妨害の点は同法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、右は一個の行為で四個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い現住建造物放火罪の刑で処断することとし、所定刑中有期懲役刑を選択し、右と前記確定裁判のあつた罪とは同法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示の罪につき更に処断することとし、なお犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人半沢を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇〇日を右の刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり、被告人半沢に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

一  写真の証拠能力につき

弁護人は、(一)検察事務官作成の写真帳一〇通(甲二の一〇八ないし一一七)中の写真及びその拡大写真(甲八の一の当該写真)は、いずれも佐々木正勝ほか九名のアマチュアカメラマンが本件当日現場において撮影したものであるところ、右各写真のフィルムの差押ないし領置手続にはいずれも重大な瑕疵が存するばかりか、その現像、焼付は、いずれも当該フイルムの所有者でかつ撮影者たる同人らの意思に反して行われたものであつて、かかる違法な手続により収集された右各写真の証拠能力を認めることは、憲法三一条、二一条の趣旨に照らし許されない、(二)写真を証拠として採用する場合は、伝聞法則の適用があり、刑事訴訟法三二一条三項を準用あるいは同法一項三号を類推適用すべきところ、警察官佐藤英秀、同飯田秀吉の入手に係る拡大写真(甲八の一の当該写真)は、いずれもその撮影者及び入手経路が全く不明であつて、当該写真の撮影場所、角度、距離、カメラの種類、機能等その証拠能力の有無を判断する際に必要な撮影に関する諸条件が何ら明らかにされておらず、従つて、右各条項を準用ないし類推適用する余地がないから、その証拠能力は、いずれも否定されるべきである旨主張するので、以下、これらの点につき判断する。

(一)  検察事務官作成の写真帳(甲二の一〇八ないし一一七)及びその拡大写真(甲八の一中の当該写真)の証拠能力

1 ところで、弁護人の右主張は、犯行現場における犯行状況を撮影した、いわゆる現場写真の証拠能力に関するものであるから、はじめに当裁判所のこれに対する基本的見解を示す。

写真は、天候、撮影角度、距離、カメラの種類、性能その他の諸条件の下において撮影されたフイルムの現像、焼付という過程を経て作成されるものであり、その決定的主要部分は、光学的、化学的原理による機械的、化学的過程であつて、この点人の供述の生成過程が、知覚、記憶、構成、叙述から成立つているのとは本質的に異る。従つて現場写真そのものは、科学的、機械的証拠として刑事訴訟手続においては非供述証拠として取扱うのが相当であり、自由な証明により事件との関連性が認められる限り、証拠能力が付与されるものと解する。

もつとも、写真が右のように科学的、機械的証拠であるとしても、撮影、現像、焼付等作成過程には人が関与するものであるから、その間において何らかの作為の施される可能性の存在することは否めないが、これはひとり写真のみに限らず、他の証拠においても同様の危険性は存するのであつて、このことにより写真の非供述証拠としての性質を否定すべき理由はない。もとより当該写真について、その作成過程において何らかの人為的影響が介在した事実が窺われる場合には、その証明力に重大な影響を蒙らざるを得ないし、影響の内容如何によっては、証拠としての価値を没却するに至ることもあり得ることは勿論であるが、それはあくまでも具体的な状況に応じて検討すべき問題である。

2(1) 以上の基本的見解を前提として、まず弁護人の主張(一)について検討する。弁護人の指摘する各写真は、その内容自体及び撮影者佐々木正勝ほか九名の供述によれば、いずれも本件当日における新宿駅構内及びその周辺における学生、群衆らの行動状況を撮影したものであることが明らかであつて、本件との関連性は十分に認められるから、これらの各写真が証拠能力を具備することはいうまでもない(なお、騒擾罪の如き集団犯罪にあつては、騒擾行為に加わつた多衆の行動を包括し、これを一個の社会的事象として把握したうえ法的評価を行うべきものであるから、たとえその中の一部の者の行動を明らかにする目的をもつて収集された証拠であつても、これと同じくその騒擾行為に加わつた他の者に対する証拠として用うる場合も、関連性が認められることはいうまでもない。)。

(2) 次に、弁護人は、右各写真のフイルムの差押ないし領置手続及び現像、焼付の過程に重大な違法が存する旨主張しているので、以下、この点につき順次検討を加える。

証人神村衛(六四回)、同安井仁(六五回)、同宝谷俊(六八回)、同福石俊一(六六回)、同木田護(五六回、六〇回)、同古沢俊美(五七回、五九回、九六回)、同並河晃(六一回、六二回)、同大山淳一(六三回、九六回)、同佐々木正勝(六七回)、同平久保清征(六七回)の各公判調書中の各供述部分によれば、右各写真の撮影者である佐々木正勝、木田護、古沢俊美、並河晃、大山淳一、神村衛、安井仁、針生信明、福石俊一、宝谷俊のうち、福石を除くその余の九名は、昭和四三年一〇月二二日午前零時ごろから午前一時ごろまでの間に、いずれも国鉄新宿駅構内あるいはその周辺において、騒擾助勢、騒擾附和随行、建造物侵入等の嫌疑により現行犯人として逮捕され、木田、大山、安井、宝谷については、現行犯人逮捕に伴う必要な処分として、刑事訴訟法二二〇条により、佐々木、古沢、並河については、逮捕後裁判官の発した捜索差押許可状により、それぞれ右各人の所持していた撮影済み未現像フイルムの差押、押収がなされ(但し、佐々木につき五本のうち四本、木田につき二本のうち一本)、また佐々木、木田、神村、針生については逮捕後、福石については、同人が警察に任意出頭した際、それぞれ警察官に対し、右各人の所持していた撮影済み未現像フイルムの任意提出(但し、佐々木につき五本のうち一本、木田につき二本のうち一本)がなされて領置されたものであることが認められるところ、右佐々木ら九名は、いずれも少くとも、当裁判所が騒擾罪の成立を認めた昭和四三年一〇月二一日午後八時四五分ごろから逮捕されるまでの間、新宿駅構内あるいはその周辺において、学生、群衆らの行動の状況等を撮影すべく、その動きに対応して移動するなどし、遂には線路上やホーム上まで進出していることが窺われるのであるから、警察官が当時の状況に基づき、同人らを騒擾助勢、附和随行、建造物侵入等の現行犯人と認めて逮捕したのは相当であり、その逮捕手続に何らの違法は存しない。しかも同人らが撮影したフイルムは、結局同人らの現場における行動を明らかにするために必要なものであるから、警察官が現行犯逮捕の際になした刑事訴訟法二二〇条に基づく差押、押収の手続及び右逮捕後になされた裁判官の発した差押許可状に基づく差押、押収手続にも何ら違法のかどがないことは明らかである。

また同人らは、いずれも自己の撮影した未現像フイルムの現像、焼付につき、現像液を指示するなどして、警察官に対してこれを承諾していること、しかも前記フイルムの任意提出及び現像、焼付の承諾が、撮影者の意思に反し強制的になされたと疑わせる事実は何ら存在せず、更にこれらのフイルムの現像、焼付、引伸し過程においても、捜査機関による何らかの作為が行われたという形跡は全く窺われないこと等の諸事情に鑑みれば、右各写真及びその拡大写真の収集過程に弁護人の指摘するような違法は認められないから、証拠として採用するに何らの瑕疵も存しないというべきである。

この点に関する弁護人の主張は理由がない。

(二)  警察官佐藤英秀、同飯田秀吉入手に係る拡大写真(甲八の一中の当該写真)の証拠能力

現場写真は、事件との関連性が明らかにされる限り、非供述証拠として、証拠能力を認めるべきことは、前示のとおりである。従つて、弁護人の指摘する右各写真にも、伝聞法則の適用の余地はなく、自由な証明により本件との関連性が明らかにされている限り、証拠能力を具備することはいうまでもないところ、なるほど、右各写真を入手した警察官佐藤英秀、同飯田秀吉は、証人尋問(第九一、九二、九五回の公判調書中の供述部分)に際し、そのフイルムの入手先、撮影者につき、公務員としての職務上の秘密を理由にその証言を拒否したため、撮影者のみならず、弁護人の指摘するような当該写真の撮影に関する諸条件の詳細は明らかにされてはいないが、右の諸条件は現場写真が証拠能力を取得するためには必ずしも必要ではなく、その証明力を判断するに際し、これを考慮すべきものと解するのが相当である。なお右佐藤、飯田は、前示のとおり、右各写真の撮影者及びその入手経路を具体的に供述するのを拒否しているが、他方入手先は報道、出版関係の民間会社から任意の提出を受けたものである等、フイルムのおおよその入手経路及びその際の状況を明らかにしているのであつて、弁護人のいうように、この点が全く不明であるというわけではなく、同人らの供述により明らかにされた右各写真のフイルム等の入手経路の概略、現像、焼付過程等に徴すれば、その入手、作成過程に何ら違法、不当な点が存在するとは認められない。そして右写真の内容及び右佐藤、飯田両名の供述によって、右の各写真は、いずれも本件当日、新宿駅構内ないしその周辺における学生、群衆の行動の状況を撮影したものであることが明らかであるから、本件との関連性は十分に認められるところであつて、証拠として採用するに何らの瑕疵も存しないというべきである。

従つて、この点に関する弁護人の主張も理由がない。

二  騒擾罪規定の合憲性につき

弁護人は、刑法一〇六条の騒擾罪の規定は、その犯罪構成要件がいずれも不明確かつ多義的であつて、さまざまな拡張解釈の余地を残し、またこれらの要件を補充又は限定するために解釈上とられている「共同意思」、「一地方の公共の平和」のいずれも不明確かつ抽象的である等、同条は罪刑法定主義を規定した憲法三一条に違反し、更にかかる不明確な処罰規定の存在は、集会、集団示威行進等集団行動による正当な表現活動を阻害する虞れがあるから、憲法二一条にも違反する旨主張するので、以下、この点につき判断する。

当裁判所は、結論として刑法一〇六条の規定は、過去における幾多の事案を通じて確立された大審院、最高裁判所等における多数の判例の集積によって、その構成要件は文義上明確にされており(特に最高裁判所昭和二八年五月二一日判決刑集七巻五号一〇五三頁、同昭和三五年一二月八日判決刑集一四巻一三号一八一八篇参照)、また同条の解釈、適用にあたつても、弁護人の主張するような危険はないものと判断する。

本条は、多衆集合して暴行又は脅迫をなしたことをもつて成立するが、同条がいわゆる集団犯罪であつて公共の平和、静謐を保護法益とするものであるところから、この趣旨に添つて解釈が施されているのである。すなわち、ここにいう多衆というに必要な人数は、集合した構成員の質、集団の目的、場所等その集団が有する公共の平和、静謐を害する危険性に影響があると認められる諸般の事情を考慮して判断すべきものであつて、一律に何名以上と定めることは適当ではないが、少くとも一地方(なお一地方の意義については、後記三の(一)の(2)における説示参照)における公共の平和、静謐を害するに足る暴行、脅迫をなすに適当な多人数であることを要するものとされていること、また暴行又は脅迫、就中、本件と直接関係を有する暴行についていえば、それは広義のものであつて、人に対する場合は勿論、物に対する有形力の行使を含み、かつ他の罪名に触れない程度のもので足りるが、これら暴行、脅迫は、一地方の公共の平和、静謐を害するに足る程度のものであることを要すること、但し、暴行又は脅迫の結果、現実に公共の平和、静謐が害される結果を生ずることは要しないこと、更に多衆が集合して暴行又は脅迫をなしたといい得るためには、その暴行又は脅迫が集合した多衆の共同意思に出たものであることを要するところ、その共同意思が存するというためには、多衆全部間における意思の連絡ないし相互認識の交換までは必ずしもこれを必要とせず、事前の謀議、計画、一定の目的があることも、また当初から存在することも必要ではなく、更に必ずしも確定的に具体的な個々の暴行又は脅迫の認識をも要するものではないが、多衆集合の結果、惹起せられることのあり得べき多衆の合同力による暴行又は脅迫という事態の発生を予見しながら、あえてこの合同力を恃んで自ら暴行脅迫をなす意思ないしは多衆をしてこれをなさしめる意思を有する者と、かかる暴行又は脅迫に同意してその合同力に加わる意思を有する者とによって構成されていることを要すること、これら本条の構成要件に関する従来の判例に対しては、当裁判所も全くこれと同じ見解に立つものである。これによれば、具体的事案において、裁判所としては、同条の構成要件に該当するか否かは、これら確立された判例の趣旨に立脚しつつ判断するものであつて、その解釈の基準が不明であるとはいえず、またその適用が裁判所の恣意によってなされるおそれは全くないといわなければならないから、同条が憲法三一条に違反するということはできない。

また憲法二一条が保障する表現の自由は、国民の基本的人権の一としてこれを尊重すべきはいうまでもないが、この権利も無制約なものではなく、公共の福祉の見地から合理的な制約の存することも免れないところである。そして、刑法一〇六条は、前示のとおり、多衆集合して一地方の公共の平和、静謐を害する危険性を生じるに足る程度の暴行又は脅迫をなすことによって成立するものであつて、その程度に達しない行動に対して適用すべき余地はなく、また右の程度に達するような行動がなされれば、それはたとえ表現行動の一環としてなされたものであつても、最早正当な表現行動として憲法の保障を受けるべき筋のものではない。

従つて、本条の規定が正当な表現活動を阻害するおそれもないから、同条が憲法二一条に違反するものでないことも明らかである。

この点に関する弁護人の主張も理由がない。

三  騒擾罪の成否につき

弁護人は、本件当日国鉄新宿駅構内及びその周辺に集つた被告人らを含む多数の学生、群衆の間に、共同して暴行又は脅迫をなす意思は存在せず、また、一地方の公共の平和、静謐が阻害された事実もまたそのような危険が生じた事実もないから、騒擾罪は成立しない、と主張するので、以下、この点につき判断する。

構成要件該当性につき

(一)  共同意思の存否

騒擾罪は、多衆が集合して暴行又は脅迫をなすことによって成立するが、その暴行又は脅迫は、集合した多衆の共同意思に出たものであることを要するところ、その共同意思は、多衆全部間における意思の連絡ないし相互認識の交換までは必ずしもこれを必要とせず、事前の謀議、計画、一定の目的があることも、また当初から存在することも必要でなく、多衆集合の結果惹起せられることのあり得べき多衆の合同力による暴行、脅迫という事態の発生を予見しながら、あえて騒擾行為に加担する意思があれば足り、必ずしも確定的に具体的な個々の暴行脅迫の認識を要するものではないと解すべきことは前示のとおりである。

そして前掲各証拠によれば、被告人らが所属ないし同調する判示学生運動諸組織は、かねてより昭和四三年一〇月二一日のいわゆる国際反戦統一行動日における闘争方針を模索し、遅くとも同月二〇日ごろまでには、当日いわゆるベトナム戦争反対運動の一環として、当時国鉄新宿駅を経由して行われていた米軍用ジエツト燃料輸送阻止を標榜し、夜間同駅周辺で集団示威運動を行つたうえ駅構内を占拠し、列車等の運行を妨害するなどして同駅内外を混乱に陥れるとの方針を確立し、機関紙、ビラ等により自派に所属ないし同調する者らにその趣旨の徹底を図つていたこと、前記のような各派の企図に同調する多数の学生らは、当日都内数ヶ所に集合し、被告人らを含む指揮者において、多数の学生らに対し、前同様当日の闘争方針を一層周知徹底せしめたうえ、その大半が自派の標識のあるヘルメツトを着用し、角材、旗竿等を携行し、あるいは途中投石用の石塊を収集するなどして、午後七時すぎごろから、順次国鉄新宿駅東口広場に集結し、同所において、集会、集団示威行進を繰り返し、あるいは被告人らを含む指揮者が、警備の警察官を暴行をもつて排除してでも駅構内に侵入してこれを占拠したうえ、是非とも米軍用ジエツト燃料輸送車の運行を阻止すべきである旨繰り返し演説し、各派集団の気勢を高揚するとともに、同広場を埋め尽くした多数の群衆に対しても、闘争への参加、支援を訴えるなどし、多数の学生、群衆も、さかんに歓声をあげたり、各派集団が示威行進を行つた際には、その隊尾に追従してともに示威行進に参加する者も出る等、これに同調する旨の意思を表明したことが認められる。このような状況に徴すれば、遅くとも午後八時四五分ごろ、一部学生らが、同駅東口側障壁の破壊を開始するころまでには、同広場に集合した多数の各派学生らの間に、共同して警備の警察部隊を暴行をもつて排除してでも、同駅構内を占拠して列車等の運行を妨害すべきであるとの意思が確定的に形成されたのみならず、その周辺に蝟集する群衆の間にも、広く右の意思が浸透するに至つた、すなわち、この時点において、当時東口広場に所在していた各派学生と同所に蝟集する群衆の多数の者との間に、暴行、脅迫に関する共同意思が形成されたというべきである。

関係各証拠によれば、被告人らを含む多数の学生らが、午後八時四五分ごろから、前記障壁の破壊を開始し、次いで午後八時五二分ごろから、逐次駅構内に侵入したうえ、警備の警察部隊に対して激しく投石し、午後九時すぎごろには革マル派、フロント派の学生も右集団に加わり、これによって駅構内に侵入した者の数は、各派学生、群衆を合せて三、〇〇〇名を超えるに至つたこと、これら各派集団及び群衆は、入りまじり、あるいは所属派別等に隊列を組むなどして、ホーム上及び線路上を行進し、その大多数が警察部隊に対して一斉に激しく投石し、停車中の電車、各ホーム上の運転事務室、各種掲示器、信号施設等に対し手あたり次第に投石ないし角材で叩くなどしてこれらを大量に破壊し、遂に警察部隊を各ホーム上から構外に退避させてこれを排除したうえ、同駅構内を完全に占拠するに至つたこと、またある者は同駅南口階段にバリケードを構築し、あるいはこれに火を放つなどして、警察部隊の進出を阻止して駅構内の占拠を継続したこと、この間同駅周辺、とくに東口広場、中央口広場においては、構内における学生、群衆らの行動に同調する群衆が多数蝟集し、指揮者が構内の学生群衆らの行動を報告するや、歓声をあげ、拍手するなどしてこれに応え、あるいは、採証活動中の警視庁テレビ中継車を横転させたうえこれに放火するなどして気勢をあげ、更にようやく態勢を立て直した警察部隊が駅構内に進出して検挙活動を開始するや、これに対しても激しく投石し、少くとも翌二二日午前一時ごろまでの間、同駅構内及びその周辺において、前記のような暴行を繰り返したこと、被告人らは、いずれも指揮者としてこれら学生、群衆の行動を指揮し、あるいは自ら率先して駅構内に侵入したうえ、前記のような所為に及んでいることの各事実が認められる。このような事情は、判示所為に及んだ被告人らを含む各派学生と群衆のうちの多数の者の間に、暴行、脅迫を行う共同意思が存在したことの証左というべきものである。

勿論、蝟集した群衆の全員が、指揮者の統制の下に漏れなく暴行、脅迫をなし、又はこれらの合同力に加わるという統一された意思の存在することによって、初めて多衆の間における共同意思の存在を肯定し得るというものではなく、蝟集した群衆の中には、終始傍観者としての立場を持する者も少くなく、また一旦共同意思を有しながら、暴行、脅迫の継続途中において、その集団から離脱し、あるいは多衆の間に共同意思が形成されたのち、その事情を認識しながらこれに加わる者の存し得ることは事案の性質に照らして見易い道理である。そして、終始傍観者としての立場を持する者は措き、たとえ共同意思の形成後集団から離脱し、あるいは共同意思の形成後、その事情を認識しながらこれに加わる者が存在したとしても、それが集団としての本質を損ねるものではなく、またこれら共同意思の形成に与つた者の数が多衆というに足るものである以上、その多衆の間に共同意思の存在を認めて差支えないものである。

なお弁護人は、前記のような一連の集団行動を、国鉄新宿駅東口側障壁の破壊行為、駅構内の侵入行為、同駅南口階段付近の放火行為等と時間的、場所的に分断したうえ、その各時点、各場所においても、前記のような暴行行為に加担しなかつた学生、群衆が多数存在することを理由に、共同意思の不存在を主張するが、前記のような各派学生運動諸組織の企図、現実に本件集団行動が発生するに至つた経緯、集団行動が行われた時間的、場所的範囲、集団の人的構成、暴行、脅迫の態様等を総合勘案すると、判示多数の学生、群衆らにより構成される集団及びこの集団による一連の暴行、脅迫行為は、いずれもこれを包括して一個の社会的事象として把握したうえ、これに対する法的評価を行うのが相当であつて、弁護人の主張するように、これを時間的、場所的に分断して個別に評価すべきではなく、また判示暴行、脅迫行為がなされた各時点において、これに加担しなかつた学生、群衆が存在したとしても、前示の理由により一連の集団行動に加担した者の間に、共同意思がなかつたことの根拠となし得ないことも明らかであるから、この点に関する弁護人の主張も理由がない。

(二)  一地方における公共の平和、静謐阻害の程度につき

騒擾罪が成立するためには、多衆による暴行、脅迫が一地方における公共の平和、静謐を害するに足る程度のものであることを要することはいうまでもない。そしてここにいう一地方とは、特定した或る程度の地域的な範囲を指すものであるが、具体的にどの程度の広さを必要とするかは、その地域が、周辺地域との社会生活上の関連において営んでいる機能、従つて、同所における暴行、脅迫が人心に与える影響の如何によって異り、単純な計数上の広狭のみを基準とすることは相当でなく、具体的な状況に則して決定すべき問題である。

これを本件についてみるに、国鉄新宿駅は、我が国の首都である東京都において、東京駅と並ぶ交通の一大要衝であるばかりでなく、周辺には極めて多数のビル、商店が密集する都内有数の繁華街を控え、人々の集散の最も激しい地域の一をなしており、同駅を利用する乗降客の多いことは勿論、直接同駅を通過する電車、列車の数も極めて膨大であるばかりか、その電車、列車の運行が、直接又は間接に及ぼす影響は、少くとも本州全土に亘るといつても過言ではない。

このように、国鉄新宿駅が交通上、社会生活上営んでいる重要な機能、従つて同駅及びその周辺における後記のような被告人らを含む多数の学生、群衆の暴行、脅迫によつて人心に与えた不安と恐怖の程度に鑑みれば、判示にかかる国鉄新宿駅及びその周辺一帯は、騒擾罪の適用にあたつて必要とされる一地方というを妨げない。

また本件においては、国鉄新宿駅内外を埋め尽くした極めて多数の学生、群衆が、午後八時四五分ごろから翌二二日午前一時ごろまでの間、同駅構内の各ホーム上、駅舎内及び線路上並びに東口広場、同駅東口側の鉄塀あるいは映画看板による障壁付近、中央口広場、同駅南口改札口付近路上などを含む同駅周辺地域一帯において、警察部隊に対して激しく投石し、前記鉄塀、映画看板を破壊して、同駅構内に侵入したうえこれを完全に占拠し、停車中の電車、各種施設に投石するなどしてこれを破壊し、あるいは駅舎及び前記テレビ車に放火する等の暴行を繰り返し、多数の警察官を負傷させたほか、翌二二日午前一〇時ごろまでの間、同駅を中心とする列車の運行を全面的に不能ならしめ、主要幹線を含む旅客線合計一、〇二五本、貨物線五九四本の列車、電車を運転休止のやむなきに至らしめて、国鉄の輸送業務を広範囲にわたつて著しく阻害し、更に前記鉄塀、映画看板のほか、同駅構内に停車中の電車、列車の前照灯、窓ガラス、同駅舎建物、各施設などを大量に破壊し、あるいは付近の商店、ビル等の窓ガラス、シヤツター、ネオンサイン、看板などを多数破損せしめ、多数の警察官、同駅職員、乗降客、同駅周辺の住民、商店街の従業員らに対し、極度の不安感と恐怖を生ぜしめたことは判示認定のとおりである。

従つて、被告人らを含む多数の学生、群衆らによる前示暴行、脅迫が、国鉄新宿駅及びその周辺一帯という比較的限定された地域内でなされたものであるとしても、これをもつて一地方における公共の平和、静謐を現実に阻害したと認めるに支障はない。

なお、弁護人は、この問題についても、判示認定の一連の集団行動を特定の時間的、場所的範囲に分断したうえ、いずれもその各範囲においては、一地方における公共の平和、静謐を害するに足る暴行がなされた事実はない旨主張するが、判示多数の学生、群衆により構成される集団及びその一連の暴行脅迫行為は、いずれも包括して一個の社会的事象として把握したうえ、これに対する法的評価を行うのが相当であつて、弁護人のいうように、これを時間的、場所的に分断して評価すべきものでないことは、前示のとおりであるから、これと前提を異にする弁護人の主張は理由がない。

四  違法性阻却事由の存否につき

弁護人は、仮に被告人らの判示各所為が何らかの犯罪構成要件に該当するとしても、被告人らは、当時米国が国際法に違反してなしていた南北ベトナム間の紛争に対する軍事介入に反対し、これに対する我国政府及びその関係機関による協力、とりわけ国鉄による米軍用ジエツト燃料輸送に抗議するため、やむをえず本件各所為に及んだものであつて、正当行為ないし正当防衛としてその違法性が阻却されるべきことは、米国が南北ベトナム間の紛争に軍事的に介入するに至つた経緯、その軍事介入の態様、これに対する国際世論の動向、その後米国がベトナムから撤退するに至つた経過等の事情に徴し明らかである旨主張する。

もとより、世界の平和はすべての人類の悲願とするところであり、また被告人らがベトナムにおける戦争、就中、米国の軍事介入に反対の意思を表明するため、本件行動に至つた動機、目的自体に対して非議するものではなく、またそれがその後の国際情勢の推移によつて、歴史的、政治的にどのように評価されるに至つたかについて、あえて耳を塞ぐものではないが、それにしても、判示集団による暴行の態様、規模、被害状況等に徴すれば、それが社会通念上相当と認められる手段、範囲をはるかに逸脱し、法秩序全体の見地からみて到底許容できないことは明らかであつて、刑法所定の違法性阻却事由が存しないことは明らかであるから、弁護人の右主張も理由がない。

五  被告人半沢の所為につき

被告人半沢は、当公判廷において、現住建造物放火の犯意を否認し、また炎上中のバリケードからはみ出して未だ燃えていない座席シートを火中に蹴り入れるなどしてその火勢を強めるような行為をなした事実はない旨供述し、弁護人も、概ね検察官主張の公訴事実に添う内容の自白をしている同被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書は、その任意性に疑いがあり、特に昭和四三年一一月一三日付、同月一四日付、同月一五日付、同月一八日付の各司法警察員調書は、同被告人に対する本件公訴が提起された後になされた違法な取調べに基づき作成されたものであるのみならず、右同月一四日付、同月一五日付の各司法警察員調書及び同月一〇日付の検察官調書は、いずれも末尾に、前記のように証拠能力を欠く写真が添付され、これに基づく供述がその内容をなしているのであるから、いずれにしても証拠能力を具備しない、また検察事務官作成の古沢俊美、大山淳一撮影に係る写真帳(甲二の110、112)中の被告人半沢の写真及びその拡大写真(甲八の一の355、362、363)、並びに警察官佐藤英秀入手に係る拡大写真(甲八の一の358)は、違法集収証拠であるからその証拠能力を欠き、他に被告人半沢に対する現住建造物放火罪の訴因を立証するに足る証拠は存しない、仮に前記関係各証拠の証拠能力が認められるとしても、同被告人の捜査段階における自白は、捜査官による誘導、誤導尋問等の取調べに基づくもので、その内容は到底信用できないばかりか、同被告人に関する前記関係各写真のみでは、同被告人が、ほか十数名と共謀のうえ、国鉄新宿駅建物に火を放つて、これを焼燬した事実を立証することは不可能であるから、いずれにしても同被告人は、現住建造物放火の点につき無罪である旨主張するので、以下、この点につき判断を示す。

被告人半沢の取調べに当つた検察官酒井清夫(第一〇二回公判)、同寺西輝泰(第一〇二回公判)、同斎藤英彦(第一〇二回公判)、司法警察員塚田勇二(第一〇一回公判、第一〇二回公判)、同佐藤治夫(第一〇一回公判、第一〇二回公判)の各供述によれば、同被告人の取調べ中、その供述の任意性を疑わしめるような事情は存在せず、かえつて同被告人は、捜査官の取調べに対して素直に応対している事情が窺われ、かかる事情に徴すれば、同被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書が証拠能力を具備することは明らかである。なるほど、弁護人の指摘する司法警察員調書中には、同被告人に対する本件公訴が提起された後に作成されたものが存在するが、起訴後捜査官が被告人を取調べること自体を直ちに違法として、その取調べのうえ作成された供述調書の証拠能力を否定すべきでないことは、最高裁判所第三小法廷昭和三六年一一月二一日決定(刑集一五巻一〇号一七六四頁参照)の明言するとおりであつて、当裁判所もこれと全く同一の見解に立つものである。加えて被告人半沢の前叙のような取調べ状況をも勘案すれば、弁護人の指摘する前記各供述調書もまた証拠能力を具備するものといわざるをえない。また、同被告人の昭和四三年一一月一四日付、同月一五日付の司法警察員調書、同月一〇日付の検察官調書の末尾には、いずれも弁護人が公判段階において証拠能力を欠くと主張している大山淳一らいわゆるアマチユアカメラマン撮影にかかる写真が添付され、右各供述調書には、これらの写真に基づく同被告人の供述が録取されている部分が存在することも否定できないが、右各写真が証拠能力を有することは既に説示したとおりであるから、これと前提を異にして同被告人の供述調書の証拠能力を云為する弁護人の右主張は理由がない。更に弁護人の指摘する検察事務官作成の写真帳中の古沢俊美、大山淳一撮影に係る写真及びその拡大写真並に警察官佐藤英秀入手に係る写真が証拠能力を具備することもさきに判断を示したとおりである。

しかして、被告人半沢は、捜査段階においては、本件当日の現場における自己の行動につき、逐一詳細に供述しているのであつて、内容自体からその信用性を疑わしめる点は何ら存在しないのみならず、同被告人に関する前掲関係各写真から推認しうる当日の同被告人の行動とも一致している事実に徹すれば、被告人の前記各供述調書の信用性は十分認められるところであり、これら関係各証拠を総合すれば、同被告人が、判示のごとく、付近にいた氏名不詳の一人が点火した新聞紙を判示バリケードの座席シートの間に差し込んで火を放つたため、これが炎上するのを認めるや、自らも座席シートを運び上げて火中に投入し、更に炎上中のバリケードからはみ出して未だ燃えていない座席シートを火中に蹴り入れるなどしてその火勢を強め、その結果、火を同所付近の両側板壁に燃え移らせてこれを焼燬した事実を優に認めることができ、右事実によれば、被告人半沢の判示所為が騒擾助勢罪のほか現住建造物放火罪に該当することは明らかであるといわねばならない。なるほど、同被告人は、判示所為に及んだ後、前記バリケードの火勢に驚き、火のついた座席シートを階段下線路側に投げ落とすなどの行為に出ていることは窺われるが、同被告人らの判示放火行為によつて、駅舎が炎上、焼燬した以上、右の一事をもつて、同被告人の現住建造物放火罪の成立が否定されるいわれがないこともまた明らかである。従つて、この点に関する弁護人の主張も理由がない。

(被告人山田純一に対する公訴事実についての判断)

被告人山田に対する本件公訴事実の訴因は、判示認定のとおり、昭和四三年一〇月二〇日、芝浦工業大学大宮校舎自治会室及び翌一〇月二一日同大宮校舎敷地内及び中央大学学生会館における一連の騒擾指揮に該当する行為のほか、「一〇月二一日午後八時五二分頃自らも新宿駅構内に侵入したうえ、国際主義派の学生ら約五〇名を指揮していた被告人大平に対し、「早くしろ、入れろ」などと叱咤して指示を与え、もつて騒擾の指揮をなし、かつ多衆の威力を用いて同駅構内を占拠して国鉄の輸送業務を妨害した」というのであつて、新宿駅構内における指示も騒擾指揮の罪に包含され、またこのほか威力業務妨害罪が成立するとしている。

これに対し被告人山田は、当公判廷において、昭和四三年一〇月二一日夕刻から翌午前一時ごろまでの間は、終始前記中央大学学生会館に滞留していて、新宿駅及びその周辺へ赴いたことはなかつたから、同月二一日午後八時五二分ごろ、国鉄新宿駅構内に侵入したことを前提とする検察官主張の公訴事実は事実無根である旨供述し、弁護人も、同被告人の新宿駅構内及びその周辺における行動は、相被告人大平良の検察官に対する供述調書のみによつて認められるにすぎないところ、右供述調書は、その取調状況、供述内容及び証人新井初雪、同石郷光修、同大久保隆、同五藤賢二の各供述に徴し、全面的に信用することができず、他に右公訴事実を立証するに足る証拠はないから、同被告人は無罪である旨主張するので、以下この点につき判断する。

ところで、被告人山田の新宿駅構内における言動を立証するために検察官が提出した証拠は、前記被告人大平の検察官に対する供述調書四通のほか、司法巡査平松卓也作成の写真撮影報告書(甲二の26=写真五五葉のもの)中の五葉目の写真、司法警察員西尾正弘作成の写真撮影報告書(甲二の40=写真一五葉のもの)中の一葉目の写真、司法警察員岡嗣敏作成の写真撮影報告書(甲二の52=写真三一葉のもの)中の一五葉目の写真、右各写真の拡大写真合計三葉(甲八の一の139ないし141)が存在するにすぎないが、これらの現場写真自体からは、その中に写つている人物の中に被告人山田が存在するか否かを判断することはできないのであつて、実質的には、弁護人の指摘するとおり、被告人山田の新宿駅構内及びその周辺における言動を証明する証拠としては、被告人大平の検察官に対する供述調書四通が存在するにすぎないということができる。

そこで、被告人大平の検察官に対する供述調書の信用性について検討する。

被告人大平は、前掲検察官調書四通において、本件前日及び当日の被告人山田の行動を新宿駅構内及びその周辺をも含めて逐一詳細に供述しており、これによれば、同被告人に対する公訴事実が全面的に肯認し得るといえなくはない。他方被告人大平は、公判廷においては、捜査段階における右供述を飜し、当日山田を新宿駅構内あるいはその周辺で目撃した事実はない、このように事実に反する供述をしたのは、当時体調を崩していたにもかかわらず、これを無視した検察官による執拗かつ長時間にわたる取調べがなされたためであるなどと弁解している。そこで、同被告人の前記検察官調書中の供述の信用性につき検討するに、同被告人の取調べに当つた検察官新井弘二の供述(第一〇三回公判調書中の同証人の供述記載部分)によれば、同被告人の取調べ中、その供述の任意性を疑わしめるような事情は存在せず、かえつて同被告人は検察官の取調べに対し、素直な態度でこれに応じた事情が窺われる。そして、同被告人の各供述調書によれば、同被告人は、本件前日の芝浦工業大学大宮校舎におけるいわゆる新宿闘争に備えての準備の模様、当日の同校舎を出発するまでの状況、中央大学学生会館における待機及び集会の模様、同所からの多数の学生らとともに新宿駅東口広場に至るまでの経緯、同所における集会及び同所付近における集団示威行進の状況、多数の学生らとともに前記映画の看板を破壊してその破壊口から同駅構内に侵入し、線路上及び同駅ホーム上を示威行進した際の模様等を極めて詳細に供述しており、その際、あわせて本件前日から当日までの自己の行動を逐一供述するとともに、被告人山田の行動についても、極めて詳細に供述しており、しかもその内容は明快かつ整然としたものであつて、特段不自然、不合理な点は見受けられず、従つてその供述自体からは、信用性を疑わせるような事情は窺われない。そこで、進んで、被告人大平の右供述が他の証拠と対比して、客観的な状況と符合するか否かを検討する。

まず、同被告人の各供述調書のうち、本件前日の芝浦工業大学大宮校舎における準備の模様、当日の同校舎を出発するまでの状況、中央大学学生会館における待機及び集会の模様並びに以上の各時点における被告人山田の行動に関する部分は、前掲各証拠中の水木一明、平方豊の検察官調書の内容とも符合するものであるから、その点に関するかぎり、疑義をさし狭む余地はない。

次いで、被告人山田が本件当日国鉄新宿駅構内において、公訴事実記載の如き所為に及んだ旨の供述部分を検討するに、被告人大平は、当日、新宿駅構内において被告人山田を比較的近接した距離から認めたとして、その目撃状況を発言内容をも含めて具体的に供述している。しかも日頃の右両名の面識程度に徴し、被告人大平が他の人物を被告人山田と見違える可能性は少ないのであるから、この点に関する供述も信用に値すると見られなくはない。

しかしながら、右供述によれば、被告人大平が当日新宿駅周辺において、最初被告人山田から声をかけられて同人を目撃したのは、被告人大平が国際主義派学生らとともに新宿の三越百貨店付近を集団示威行進中であつて、その際隊列の外にいた被告人山田から、隊列の誘導方法につき指示を受けた、というのであるが、被告人大平を含む国際主義派の学生らが、同所付近において集団示威行進を行つた時刻は、当日午後七時五〇分前後ごろであることは、さきに取調べたビデオテープ(甲三の一の1)ほかの証拠によつて明らかである。従つて、被告人大平の供述調書のとおりであるとすれば、同日午後七時五〇分前後には、被告人山田は既に新宿駅周辺に到着していたものといわざるを得ない。ところが証人石郷光修(第一一五回公判)、同大久保隆(第一一三回公判)、同五藤賢二(第一一四回公判)の各供述及び五藤賢二の昭和四四年三月七回付検察官調書によると、右五藤については、当日夕刻から午後七時三〇分ごろまでと、その後午後九時三〇分ないし一〇時三〇分ごろ以降夜半にかけて、右石郷については、五藤より若干時間的に遅れてではあるが概ね五藤と同じ時間に、また右大久保については、当日夕刻から午後八時三〇分ごろまでと、その後午後一〇時ないし一〇時三〇分ごろ以降夜半ごろまで、いずれも前記中央大学学生会館に待機していたが、その際被告人山田も引続き同所に滞留していた旨明確に供述しており、その供述内容が特に虚偽のものであることを疑わしめる事情も認められない。そして右の各証人の供述と、中央大学学生会館と新宿駅間の距離関係及び被告人山田は当日より約二週間前に頭部を負傷し、引続き治療を受けており、平素は頭部に包帯を巻いており、当日も大宮校舎及び中央大学学生会館に赴いた際も同様に包帯を巻いていた事実が窺われるのに、被告人大平の供述調書によれば、被告人山田を新宿駅構内及びその周辺において目撃した際、同人は頭部に包帯を巻いていなかつたと思うというものであつて、その点他の証拠によつて認め得る事実と相違すること等を比較考察すると、被告人大平の供述調書のうち、三越百貨店付近で被告人山田を目撃したという内容の信用性については疑問の余地なしとしない。なお、被告人大平の供述調書は、その他当日午後八時五二分ごろ、新宿駅構内においても被告人山田を目撃したとして、その添付写真に自ら特定の人物を示して、それが被告人山田である旨表示している。しかし、その添付にかかる写真は、さきに説示した司法巡査平松卓也ほか二名作成にかかる写真撮影報告書中の現場写真及びその拡大写真と同一のものであつて、その写真自体からは、被告人山田として指摘された人物が果して同被告人であるか否かを識別することはできないうえ、前示のとおり三越百貨店付近において被告人山田を目撃したとして、その際の状況を具体的に説明しているものの、その信用性に疑問の余地なしとしないにもかかわらず、ひとり新宿駅構内において目撃したとの供述に限つて信用性に疑問の余地がないと判断すべき特段の事情は見出し難い。

加えて、被告人大平は、検察官に対する昭和四四年二月六日付(但し、五項に亘るもの)及び同年三月三日付各供述調書において、末尾添付の現場写真中の特定の人物が、芝浦工業大学新聞会に所属する荒井なる人物と思われる旨供述し、自ら写真にその旨表示しており、同人の指摘する荒井なる人物は、その所属等から推して新井初雪を指すものと考えられるところ、証人新井初雪の供述(第一一五回公判)によれば、同人は本件当日は勿論、その前後に亘り所用のため兵庫県下に滞在していた事実が窺われる。これによれば、被告人大平の供述調書中、新宿駅及びその周辺において目撃したとして指摘する人物の異同について、全面的に信用性を肯定するには疑問が存するといわなければならない。

そして、被告人山田の新宿駅構内及びその周辺における行動を立証し得る証拠は、実質的には被告人大平の供述調書四通のみであることは前示のとおりであり、右供述調書のこの点に関する記載について信用性に疑問が存する以上、被告人山田に対する騒擾指揮及び威力業務妨害の訴因のうち、国鉄新宿駅構内における犯罪事実はいずれもこれを認定することができず、結局威力業務妨害の点は無罪というべきところ、被告人山田に関する前掲各証拠によれば、判示のとおり同被告人が本件前日の昭和四三年一〇月二〇日、前記芝浦工業大学大宮校舎自治会室において、約一〇名の同大学学生に対し、翌二一日には新宿駅東口広場付近の映画看板を破壊して同駅構内に侵入し、同駅を占拠して、実力をもつて同駅を通過する米軍ジエツト燃料輸送車の進行を阻止すべきであるとの基本方針を述べてその旨指示するとともに、当日の行動指揮者として被告人大平外一名を指名し、翌二一日同校舎敷地内において、多数の学生に対し、新宿駅構内を占拠して、米軍ジエツト輸送車の進行を阻止する闘争に参加するよう呼びかけたうえ、約二〇名の学生らを指揮、引率して、中継地点である前記中央大学学生会館に赴き、当日の闘争における行動、特に機動隊と衝突した際及び逮捕された際に注意すべき諸事項を縷々伝達指示して約二〇名の学生を国際主義派に所属ないし同調する約一八〇名の学生らとともに国鉄新宿駅に向わせた事実を認定することができる。このように、自らは直接騒擾の現場に赴かなかつたとしても、多数の学生が自己の指示に基づいて行動することにより、当然騒擾に参加することを予知しながら、あえて該事態の発生をも辞せざる意思の下に、多数の学生らに対し、現場において執るべき行動及び心構えを具体的に指示し、その結果、学生らがその指示に基づいて前示のとおり騒擾に参加した以上、右被告人山田の所為が騒擾指揮罪に該当することは明らかであるところ(大審院昭和五年四月二四日判決参照)、右の行為と新宿駅構内における騒擾指揮の行為とは、もともと一個の訴因の一部にすぎないのであるから、主文において特段の判断を示すべきでないのは当然であり、また検察官は右騒擾指揮罪と威力業務妨害罪とは観念的競合の関係にあるとして公訴を提起していることは明らかであるから、主文において威力業務妨害罪に対する無罪の言渡しをしない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤暁 吉崎直弥 浜野惺)

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